论文总字数:9493字
摘 要
神话传说是早期人类认识世界、探索世界的产物。在生产力落后的古代,人们习惯于用神的意志来解释其无法理解的事物或者现象,这即是神话产生的契机。灾害神话作为各民族神话中重要一环,体现了古代人对自然灾害这类不可抗力的认知和,是研究民族文化、民族心理的重要参考。本文以中日神话为切入点,旨在探讨、比较两国古代人民的灾害认知。
关键词:神话,灾害认知,中日,比较,原因
要 旨
神話伝説は、古代の人々が世界を探索するとともに生まれたものである。生産力が未発達な昔に、人間は己が理解できぬ物事や現象を神の意志と解釈する。それは神話が作られるきっかけである。災害神話は、各民族の神話の大切な一環として、古代人が自然災害という不可抗力への認識を表し、民族文化や民族心理を研究する参考になる。本論は日中神話に基づき、両国の古代の人たちが自然災害をどのように認識していたかを比較し、両者の異同とその原因を追究する。
キーワード:神話、災害認識、中日、比較、原因
目 次
はじめに 1
第一章 中国神話にみられる自然災害 2
1.1中国神話における自然災害の記述 2
1.2自然災害に対する古代中国の認識 2
第二章 日本神話にみられる自然災害 3
2.1日本神話における自然災害の記述 3
2.2自然災害に対する古代日本の認識 4
第三章 自然災害に対する中日の認識の異同とその原因 5
3.1中日の認識の比較 5
3.1.1類似点 5
3.1.2相違点 5
3.2相違が生じる原因 5
3.2.1地理的要因 5
3.2.2政治体制の違い 6
おわりに 7
参考文献 8
謝 辞 9
はじめに
神話という言葉は西洋から伝入された用語で、人類が宇宙・文化・人間の起源を超自然的な存在として説明する物語である。神話は、古代人の世界観を反映すると同時に、古代人の世界認識と世界改造の活動に影響を及ぼしている。世界中の国々では、地理環境、政治、文化などの違いが原因で、それぞれ異なる神話体系が作られた。中国と日本は地理的距離が近いけれども、文化や風習の違いが大きい。中日神話の研究は、両国の民族文化や心理を理解するための一つの視点として価値がある。
中国では、神話が独立な学科として研究されるのは前世紀からである。代表的な学者は魯迅、茅盾である。とくに茅盾の『中国神話研究ABC』は西洋の神話研究方法を取り入れて、中国の神話研究の発端となった。中国の神話研究は主に文学、民俗、宗教あるいは歴史などを主題として行われ、細かい角度からの研究は少ない。本論は自然災害という細かい点から、比較文学の方法を利用して、中国と日本の神話を研究する。
災害認識は、災害の形成原因、被害範囲、種類、対処法に関する認識である。自然災害は、各民族の歴史の中に、人の命や民族の存続に関わり無視できない問題である。災害神話は、古代人は自然災害をどのように思うかを反映して、古代人の災害対応に指導を提供する。本論は日中神話における災害認識を研究の対象にする。最初は日中の災害神話と災害認識を説明する。その後は両国の災害認識比較で、相似点と相違点を求める。最後は相違が生じる原因を論じる。
第一章 中国神話にみられる自然災害
1.1中国神話における自然災害の記述
神話作品に載せされた災害の種類が多いが、最も多くみられるのは洪水と干害である。
黄河流域に暮らしていた古代人にとって、河は生活や生産活動に関わり、母親のような存在である。洪水が起これば、命や財産を失う恐れがある。洪水を抑えるという願いで、洪水神話が作られた。古代の神話作品に洪水についての記録は多い。
『淮南子』「天文訓」や『楚辞』「天問」に洪水の起源を記載している。
共工は人面蛇身で、朱色の髪を持つ神である。彼は顓頊(黄帝の子孫)との帝の地位の争いに負けた。その際、怒りにまかせて暴れ周り、天を支える柱である不周山にぶつけた。そのため天柱が折れ、天が西北に傾いてしまった。中国の河川がすべて東南方向に流れるのはこのためとされている。その後、大きな洪水がおこれ、華夏が水に浸った。
上記の神話は洪水の成因を説明している。古代人はいろんな災難を起こした共工を四罪の一つ(ほかの三つは三苗、鲧と驩兜)と称える。『淮南子』には、治水の神話も記載されている。
古の時、天を支える四極の柱が傾いて、世界が裂けた。天は上空からズレてしまい、地もすべてを載せたままでいられなくなった。火災や洪水が止まず、猛獣どもが人を襲い食う破滅的な状態となった。女媧は、五色の石を錬りそれをつかって天を補修し(錬石補天)、大亀の足で四柱に代え、黒竜の体で土地を修復し、芦草の灰で洪水を抑えた。
中国は季節風気候帯にある地域が広くて、洪水だけではなく、干害を受けることもよくあった。干害の神話といえば、もっとも有名なのは羿の物語である。
天帝である帝夋には羲和という妻がおり、その間に太陽となる10人の息子(火烏)を産んだ。この10の太陽は交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目を負っていた。ところが帝堯の時代に、10の太陽がいっぺんに現れるようになった。地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。このことに困惑した帝堯に対して、天帝である帝夋はその解決の助けとなるよう、天から神の一人である羿をつかわした。羿は、帝堯を助け、初めは威嚇によって太陽たちを元のように交代で出てくるようにしようとしたが、効果がなかった。そこで仕方なく、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻した。
1.2自然災害に対する古代中国の認識
古代の中国人は自然に対する態度は基本的に積極的である。
自然や宇宙に比べると、人はただ塵のような存在である。とくに古代人にとって、日々の暮らしが順調にいけるかどうか、主に自然状況次第である。農作に好都合の気候であれば、人は穏やかに暮らすけれども、自然災害などいざとなれば、作物どころか生命まで失ってしまう。それでも、古代人は安定で幸福な生活への願いが止まった時がない。『女媧补天』にも、『後羿射日』にも、残酷な災害に対抗する英雄が現れた。普通の人間は弱くて、自然と対抗するのができないが、英雄ならいける。中国の神話に現れた英雄は基本的に強い力や高潔な気品があり、民を助けるためにいろんなものと戦っている。英雄が弱い場合もある。例えば、『山海経』に記載されているセイエイのこと。炎帝神農氏の女が東海地方を遊歴する時、海に溺死し、その恨みを晴らすべく鳥と化し、東海を埋めようと周囲の山から木石を銜え運んで海中に投下するようになった。鳴き声が「セイエイ」のゆえ、精衛と名付けられたという。強いのであろうと、弱いのであろうと、諦めずに災害と戦うという主題が変わっていない。
第二章 日本神話にみられる自然災害
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