日本の風呂文化についての一考察——その形成原因の分析を中心に

 2021-11-25 14:41:15

论文总字数:13092字

摘 要

日本是一个狭长的岛国,由本州、四国、九州、北海道四大岛屿和上千个小岛构成,东边紧邻太平洋,西边紧靠日本海,海岸线长而曲折,有许多的海湾和半岛。同时,日本也是一个多山的国家,山地和丘陵占了日本总面积的百分之八十左右。独特的地理风光孕育了独特的文化,洗浴文化就是其中之一。

在日本,洗浴文化的表现形式主要有三种:温泉、公共浴场和家庭浴室。在世界范围内,可能都很少有像日本人那样喜爱泡澡的民族。在日本的公共浴室里,除了淋浴的区域,还会设置专门泡澡的区域,先在淋浴区清除掉身上的污垢,然后再开始泡澡。现在日本家家户户都拥有自己的浴室,所以几乎看不到公共浴室的踪影了,更多的日本人会选择去温泉度假,放松身心,享受休闲的时光。

本文的写作目的在于通过了解日本洗浴文化的发展历程,深入分析该文化产生的原因,从而更好地了解日本民族。

本文大致上分为三个部分。第一部分介绍日本洗浴文化的形成和发展。主要是从历史的角度来写的,日本的洗浴文化从形成到现在,经历了十分漫长的阶段,直至今天也依旧在不断发展。最早可以追溯到上代,但是真正开始形成是在佛教正式传入日本以后。二战前,洗浴文化历经各个时期,完成了由贵族向平民的普及。公共浴室渐渐受到日本人的喜爱,在日本快速地流行了起来。二战后,家庭浴室变的常见,人们可以不用出门就享受到泡澡的舒适,所以公共浴室开始逐渐减少,温泉成为了日本的一大旅游产业。

本文的第二部分重点介绍了日本洗浴文化发展过程中出现的一些形式。包袱皮是洗浴文化的典型。蒸汽浴最先出现在寺庙和神社中,当时仅风靡于武士和贵族之间,他们用包袱皮来包裹换下的衣物,沐浴过后在包袱皮上穿衣。在后来的发展中,包袱皮的功能逐渐扩大,更注重实用性和观赏性的统一。“钱汤”起源于镰仓时代,当时作为一个公益事业由寺院主导,后来逐渐发展成为收费的公共浴室。江户时期的钱汤还曾出现过男女混浴的现象,直至明治时期政府才开始明令禁止,之后就逐渐消失了。

本文的第三部分从自然、宗教、社会的角度详细分析了洗浴文化形成的原因。日本独特的地理环境、气候因素等都为洗浴文化的生根发芽创造了一定的条件。日本是一个多灾多难的国家,每年都会遭受许多自然灾害,所以日本人一直对大自然怀着敬畏之心,追求人与自然的和谐共处,温泉为日本人提供了亲近自然的绝佳机会。宗教对于洗浴文化的形成具有重大的意义。最初的浴堂出现在寺庙中,后来才逐渐传入民间。日本宗教宣扬的洁净意识也潜移默化的影响了日本人的行为。日本社会注重集团和秩序,所以日本人有很强烈的“和”意识,他们喜欢与人交流和沟通,而温泉恰好为他们提供了这样的机会。

本文通过了解日本洗浴文化的形成和发展,以及把握其发展过程中的各个特点,加深了对日本文化的理解。通过对洗浴文化形成原因的分析,更好地了解了日本民族。除此之外,我们可以更进一步地去了解日本人的内心,水造就了他们独特的个性,更新了他们对自然、对人生的看法。了解日本的洗浴文化,为日语学习者了解日本人发挥了重要作用。

关键词:洗浴 公共浴室 自然 宗教 “和”意识

要 旨

日本は細長い島国であり、本州、四国、九州、北海道と多くの小島からなっている。東側に太平洋、西側に日本海がある。海岸線は長くて曲がりくねっている。湾と半島が多い。それと同時に、日本は、山地と丘陵が国土の8割ぐらいを占めるほど山が多い国である。独特な地理は独特な文化を生み出した。その中には風呂文化が含まれている。

日本では、風呂文化の表現形式に主に三つがある。温泉、公共浴場と家庭風呂である。世界で、日本人のような風呂好きの民族は多くないそうである。日本の公共浴場には、シャワーだけでなく、浸かれる風呂の区域もある。お風呂に入る前に、シャワーで体の垢を落としなければならない。現在、家々に自分の浴室があるから、公共浴場の姿はめったに見えなくなっている。また、温泉旅行に行き、リラックスしたり楽しんだりすることは多くの日本人の休暇の過ごし方である。

本論文の執筆の動機は日本の風呂文化の発展過程により、その形成原因を解明し、更に日本民族をよく知るようになることである。

本論は三つの部分に分けている。第一部分は風呂文化の形成及び発展である。歴史からみれば、形成から今まで、風呂文化は非常に長い時間を経て、今でも途切れなく発展し続いていく。風呂文化は上代に遡れるが、本当に形成し始まるのは仏教が正式に日本に伝わった後である。戦前、風呂文化は貴族から民衆への普及を遂げ、公共浴場は日本人に好かれて、日本で迅速に流行していた。戦後、家庭風呂が普及し、人たちは出かけなくてもお風呂に入れよって、公共

浴場が減少した。なお、温泉は日本の観光産業の一つとなった。

本論文の第二部分では風呂の形式と特徴を紹介する。風呂敷は風呂文化の典型的な例である。最初は、寺社に建てられる蒸し風呂は武士と貴族の間で流行していた。彼らは、脱いだ着物を風呂敷に包み、入浴が終わるとその上で着替えをした。その後、風呂敷の効用の増加とともに、実用性だけでなく、鑑賞性も重視されるようになった。また、「銭湯」は鎌倉時代に現れ、公共事業として寺院に主導された。その後、有料の公共浴場に変わった。江戸時代の「銭湯」は男女混浴の現象が現れたが、明治政府により、禁止された。

本論文の第三部分では自然、宗教、社会の面から風呂文化が形成された原因を論じる。日本の独特な地理環境、気候要素などはすべて風呂文化の不可欠の形成条件である。日本は自然災害が多い国で、毎年かなり災害に見舞われるから、大自然を非常に畏敬し、人間と自然の調和を追及する。温泉は日本人が自然に近づく手段である。宗教は風呂文化の形成に大きい影響を与える。最初の浴堂は寺院に建てられ、民間に伝わったのは後の話であった。日本の宗教が唱える清潔観も知らず知らずのうちに日本人の行為を変えた。そして、日本社会は集団と秩序を重視し、日本人は強い「和」意識を持っている。そして、日本人は温泉に浸かることで、コミュニケーションを深めている。

本論文は風呂文化の形成、発展とその形式を紹介することにより、日本文化と日本民族に対し、もっと詳しくなることができる。それ以外に、水を通じて日本人の心や自然、人生に対する考え方を知ることができる。風呂文化についての研究は今後日本人を理解することに積極的な役割を果たす。

キーワード:風呂 銭湯 自然 宗教 「和」意識

目 次

はじめに……………………………………………………………………1

第一章 風呂文化の形成及び発展 …………………………………………2

1.1 風呂文化の形成……………………………………………………………2

1.2 各時期における風呂文化の発展状況…………………………………………2

1.2.1 中世の風呂文化 …………………………………………………2

1.2.2 近世の風呂文化 …………………………………………………2

1.2.3 近現代の風呂文化 ………………………………………………3

第二章 風呂の形式と特徴…………………………………………………4

2.1 風呂敷 ………………………………………………………………………4

2.2 浴衣 …………………………………………………………………………4

2.3 銭湯 …………………………………………………………………………4

第三章 風呂文化が形成された原因 ………………………………………6

3.1 自然の影響 ……………………………………………………………………6

3.2 宗教の影響 ……………………………………………………………………6

3.3 社会の影響 ……………………………………………………………………7

おわりに……………………………………………………………………9

参考文献 …………………………………………………………………10

謝辞 ………………………………………………………………………11

はじめに

文化は各民族にとって欠かせない存在である。風俗、信仰、服装などは全部文化に含まれている。経済や政治と違い、文化は見えなくて触れないが、いつも人々の思想と行動に影響を与える。グローバル化の発展とともに、世界で様々な文化の交流と衝突が頻繁になった。文化についての研究も絶えず行われていて、民族文化が世界の舞台を踏むことを推進した。

風呂文化は日本の典型的な文化であり、日本文化の中で、独特な地位を占めている。日本人は風呂好きの民族である。一日中二度と入浴する日本人もおり、朝はシャワーを浴びて、夜はゆっくりとお風呂に入る。一日の疲労を回復するうえに、仕事のストレスも緩和できる。日本人が最も好きな入浴方式はやはり浸かることである。風呂を使う時、日本人は水に浸かるだけで、垢を落としたり洗ったりすることは全部風呂に入る前に完成する。本論文は風呂文化関係のいくつかの方面から、その形成原因を中心として研究する。

実は、風呂文化に及んだ著書は非常に多い。季莎莎(2013)が書いた『浅析日本的洗浴文化』では主に宗教、自然、民族の三つの視点から、風呂文化について述べている。宗教には仏教と神道教という二つの部分がある。自然からみると、日本の地形や気候、及び日本人の自然崇拝の思想は大きい役割を果たした。そして、風呂文化と日本民族も深く関わっている。例えば日本人の「和」思想や明治維新による日本人の観念変化である。

黄学傑(2003)の『日本的沐浴文化』では風呂文化の起源、形式、他の民族との比較などを論じた。黄学傑(2003)によると、日本人にとって、風呂ということは恥ずかしいことではなく、ごく普通の話で、他の民族も勿論入浴をするが、その目的は違う。また、日本人は風呂を最高の楽しみとするから、非常に風呂を重んじ、文化産業も形成された。

劉雪寧と武蓉(2012)の『試論日本的洗浴文化』では風呂文化の形成と発展が詳しく紹介されている。狩猟の時代に遡ることができる風呂文化は上代、中世、近世を経て、発展が途切れず、段々日本式の姿になった。明治時代と戦後の社会変遷とともに、風呂文化もまた新しい内容を与えられた。歴史については全面的だと思うが、その原因については論じなかった。

日本人は風呂が好きだから、いろいろな新しい風呂の方式を発明した。例えば、砂浴や魚療浴などである。風呂は清潔を保つ手段だけでなく、一種の娯楽でもある。日本の風呂文化の形成には様々な原因があり、その原因を分析することによって、日本民族をより深く理解するのは本論文の目的である。それ以外に、日本の風呂文化についての研究を通じて、日本人の自然観、信仰、人生観なども理解することができ、今後日本文化の研究に重大な意義を持つ。

第一章 風呂文化の形成及び発展

1.1風呂文化の形成

日本の風呂文化は長い歴史があり、特色を持っている。その主な形式には「温泉」、「公共浴場」と「家庭風呂」がある。世界で屈指の温泉国として、日本はほとんどの都道府県に温泉がある。『古事記』、『日本書紀』などの史書によると、温泉の起源は数万年以前に遡ることができるということである。人たちは鹿、熊、猿などの動物が温泉で傷口を治療することを見て、真似をして、温泉に浸かることを始めたとのことである。

温泉と同じ、浴場の歴史も悠久である。その前身は古代寺院の浴堂というものである。紀元6世紀、仏教が百済から日本に伝わったことにより、風呂文化も日本の土壌に根付いた。仏教からみると、入浴は身の汚れを落とし、体をきれいにする一方で、精神の重荷も下ろさせる効果があるのだから、東大寺、法華寺などで僧侶たちのために浴堂が建てられた。そして、参拝者たちに利用できる大湯屋も開放された。これは「施浴」と呼ばれる。入浴は寺院の仕来りとして、唱えられていた。飛鳥時代から奈良時代にかけて、仏教は段々日本の国教になった。寺院は仏教を進める機関として、日本社会に指導的な役割を果たした。そのゆえ、風呂文化は寺院から民間に伝わり始まった。

平安時代に、桶が現れ、人々の生活には欠かせない物になった。そのころ、住宅辺りの井戸の傍を風呂場とするのは普通で、平安時代末期、井戸の傍で髪を洗ったり、洗濯をしたりする女性が至る所で見られた。そして、京都には利益を求める数少ない公共浴場が現れた。この時期、温泉の利用も始まり、最初は、病気になった僧侶の治療に用いられたが、徐々に貴族の娯楽と宗教活動にも使用され、特に宗教と深くかかわっていた。

1.2各時期における風呂文化の発展状況

1.2.1中世の風呂文化

中世に入ると、施浴は更に盛んになった。貴族或いは豊かな家には自分の浴室があり、時々隣の人をもてなし、家に入浴をさせることがあった。こういう形式は段々「風呂」と呼ばれ、入浴の浴場も「風呂屋」と称された。15世紀、武家文化の繁栄に伴い、武士や貴族は入浴した後、いつも宴席を開き、娯楽性を帯びた入浴方式が広まり始まった。そして、この時期、元々貴族の間で流行していた施浴は段々一般庶民へ普及していった。このような施浴は宗教的に有利な宣伝手段と見なされる一方で、庶民にも入浴の快さと面白さを感じさせた。こうして、人たちは、入浴に対する欲求が増え、後の公共浴場の発展を推進した。

1.2.2近世の風呂文化

江戸時代、実用性と娯楽性を融合した「銭湯」文化が盛んになって、施浴の地位を取り替えた。銭湯は民衆にとって日常生活に欠かせない娯楽場所になった。新聞がなかった時代に、銭湯は人たちが情報を獲得し、交換する所となった。

湯女が出現した時期もこの時代である。浴堂にいて、客と酒を飲んだり歌を歌ったりして、当時かなりはやっていた。その後、幕府が風紀のために湯女サービスを取り締まった。銭湯も単純な入浴の場所に戻った。しかし、男女混浴の現象はまだ存在していた。江戸時代には医学はそんなに発達ではなかったから、温泉の医療効果は非常に注目された。温泉は段々庶民の間で広がっていた。

1.2.3近現代の風呂文化

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