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摘 要
世界捕鲸历史源远流长,其中以日本最为突出。2009年《海豚湾》荣获奥色卡最佳纪录片,这部揭示日本太地町捕鲸活动的纪录片,将日本捕鯨推向舆论的风口浪尖。捕鲸,作为日本传统渔业文化的一部分,在与现代文明的碰撞冲突中该如何取得平衡。本文通过对日本捕鲸问题的探究,以期引发人们如何传统文化的重新认识,对当今世界保护动物、保护自然环境这一主题的重视。
关键词:捕鲸文化 太地町 反捕鲸舆论
要 旨
世界における捕鯨の歴史は長く、特に日本は一番目立っている。2009年、日本太地町における捕鯨活動を表した「ザ・コーヴ」というドキュメンタリー映画は、オスカー賞に入賞された。これによって、日本の捕鯨をめぐる論争が勃発した。捕鯨は、日本の伝統的な漁業文化の一つとして、現代文明と衝突している。このようなとき、どうすればバランスが取れるのだろうか。小論は日本の捕鯨文化を探究することによって、伝統文化への再認識を促し、現代における動物倫理や自然保護などの問題に目を向けてもらいたい。
キーワード:捕鯨文化 太地町 反捕鯨論争 捕鯨文化の行方
目 次
はじめに 1
第一章 捕鯨文化について 2
1.1 捕鯨文化の意味 2
1.2 太地町における「鯨文化」 2
第二章 捕鯨の歴史と現状 4
2.1 捕鯨文化の伝統 4
2.2 捕鯨文化の変遷 4
第三章 捕鯨文化の行方 8
3.1 世界からの注目 8
3.2 捕鯨問題の解決法 9
おわりに 10
参考文献: 11
謝辞 12
はじめに
私は中学時代に「ザ・コーヴ」というドキュメンタリー映画を見たので、日本の捕鯨活動に興味を持ち始めた。なぜ日本人は可愛いクジラを追い込むのだろうか。その捕鯨の発祥地はどこにあるのだろうか。日本人にとって捕鯨はどのような特別な意味があるのだろうか。山ほど多くの質問が頭に浮かんでいた。問題を解決するために、大学に入学してから、ネットや図書館で資料を集め、日本人の先生とも交流した。それによって日本における捕鯨活動について少しずつ理解できた。
調査によると、日本国内でも捕鯨に対して賛否両論が起きているという。「捕鯨活動は日本の伝統文化なので、誰でも尊重しなければならない」と声が上がっている一方、「自然と調和するために、動物を保護し、捕鯨活動を終止にすべきだ」という論説も出ている。
日本の捕鯨活動の歴史は川のように長い。筆者から見れば、時間の流れにしたがい、クジラの追い込みは日本における伝統文化の一つとなってきている。我が国は春節に食物の支度をするため豚を殺すのと似ているかもしれない。しかし、違いがないわけでもない。周知のように、豚は家畜であるので、豚を殺すのは自然を破壊することだとは言えない。それに反して、クジラは自然の産物であるので、捕殺しすぎれば、自然を壊すことになるということは言うまでもない。
日本人にとってもクジラは貴重な自然産物である。そして、捕鯨活動は日本人の生活を支えており、国民の衣食住に密接な関係がある。しかし、地球の環境が悪化し続けていけば、捕鯨の行方はどこにあるのだろうか、この伝統文化を受け継ぐことができるのだろうか。これらの問題を明らかにするために、日本捕鯨文化について探求してみたい。
第一章 捕鯨文化について
1.1 捕鯨文化の意味
日本の国語辞書によると、「文化」は民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、世代を通じて伝承されていくものを意味する。言い換えれば、人類が自らの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。
また、フリーマン氏は、「文化」の意味について以下のように詳しく説明している。
人類学者の意味する「文化」とは、一般に、社会化の過程を通じてひとつの世代から次の世代へ受け継がれる「共有された知識」を意味する。[1]
文化の概念からヒントを得、捕鯨文化を以下のように定義する。
捕鯨文化とは、数世代にわたり伝えられる捕鯨に関連した共有の知識である。この共有知識は、コミニティーの人々に共通した伝統的な世界観、人間と鯨との間の生態系的及び技術的な関係の理解を指す。日本の捕鯨文化における人々が共有の遺産は、長い歴史を持つ伝統に根ざしている。[2]
日本は海洋国家であり、昔から海洋と深いつながりがある。日本は海洋からの台風や津波など自然災難に直面している一方、豊かな水資源にも恵まれている。文化として、特に日本的な特徴があるのは「海洋性」であり、この海洋性は海から出産の水産とつながる。日本人にとって、塩は一番重要な水産で、次は魚である。日本人は海洋から水産を取ったり、販売したりするに伴い、豊富多彩な漁業文化が生み出されている。客観的に言うと、捕鯨文化は(捕殺小型クジラ——イルカも含み)日本の漁業文化に属する。
クジラは日本において社会的にも経済的にも重要な位置を占め、日本人は「捕鯨と鯨食は日本の伝統文化である」というスローガンを固く信じている。
1.2 太地町における「鯨文化」
太地町とは、和歌山県東牟婁郡に属する町のであり、日本における捕鯨活動の代表的な町でもある。太地町は大昔から捕鯨で日本全国で有名と考えられ、日本の古式捕鯨活動の発祥地と言われる。
太地町における捕鯨の歴史は、1606年「慶長11年」に遡ることができ、当時の和田家一族「豪族」の和田頼元が、外来の漁師とともに最初的な捕鯨技術を創造し、太地を拠点として、古式捕鯨活動を行い始めた。その後、1675年「延宝3年」に和田家族の三代目和田頼治が、クジラを網に追い込みという網捕方を改善した。これによって、太地町の捕鯨活動は最盛期を迎え、約千人に達した。こういう事情が200年ぐらい続いていた。しかしながら、太地の捕鯨は1878年「明治11年」に捕鯨中の事故により一時的に中断された。25年ほど経った日露戦争後、太地では再び捕鯨活動が盛んになった。
捕鯨は、太地町の住民にとって、命のような重要な産業である。クジラは住民たちの食物の源だけではなく、唯一の収入の源と言ってもいい。鯨肉は低カロリーで低脂肪で、それに重要なタンパク質源でもある。戦後食材の不足に直面していたときであろうと、高カロリー高脂肪の食生活になっている現代であろうと、鯨肉はいつも人気が高い食べ物である。クジラの食べ方について、太地町でいろいろあるが、何と言っても一番おすすめするのがお刺身だという。
「クジラの町」と称し、1969年に太地町立クジラの博物館を建設し、またクジラを目玉とした観光の振興への取り組みが見られる。世界一のスケールを誇るクジラの博物館には、クジラの生態や捕鯨に関する資料などおよそ1,000点に及ぶ貴重なものが展示されていて、日本捕鯨発祥の地として昔から現代までのおよそ400年の歴史を目の当たりに興味深くひもといていただけ。博物館内には、鯨類骨格標本、古式捕鯨に用いられた道具、古式捕鯨を模したジオラマ、近代捕鯨の銛や大砲、キャッチャーボート模型などクジラと捕鯨のことが詳しく展示、解説されている。
また、クジラの町だから、町のマークもクジラである。町の税収の3割は、捕鯨からである。このマークは、1965年(昭和40)9月に制定され、クジラを象徴した太地のTを図案化し、円形でTを囲んで、町の躍進をあらわし色みどりで着色する。
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